石川県出身の 鹿賀丈史さんは俳優、声優、歌手と幅広い芸域を持つ人物として有名です。

 

鹿賀丈史の学歴

小学校は金沢市立材木町小学校です。

中学校は金沢市立野田中学校です。

 

野田中学校に進学した鹿賀丈史は9歳から金沢少年合唱団に入団して

ボーイソプラノを担当していました。

中学校2年生までこの合唱団に所属していたのです。

やはり、歌が好きだったんですね。

 

高校は金沢二水高校で現在(偏差値は65)進学校として有名です

 

 

高校での鹿賀丈史は合唱部に入部し、全国大会に出場していました。

3年生の時は部長を務め担当はテノールで、指揮者としても活躍したようですね。

 

高校卒業後は声楽家になる為、東京芸術大学声楽科を目指していたが

1972年に友人の勧めで「劇団四季」を受験したところ見事に合格しました。

 

翌年には劇団のミュージカルの主演にも抜擢されました。

入団2年目での主役抜擢は、劇団四季始まって以来の事と話題になりました。

 

ここで出会ったのが、「劇団四季」の元代表の演出家・浅利慶太さんでした。

浅利さんは鹿賀の出身地・石川の「加賀」に引っかけて

「鹿のように俊敏で、澄んだ目をしていろ」という意味を込めて名前を

鹿賀丈史と付けてくださったそうです。

 

その浅利慶太さんは、2018年7月13日(金)17時33分、悪性リンパ腫により

(享年85)で亡くなりました。

鹿賀丈史は、今自分があるのは浅利慶太さんのお陰、恩人でしたと

号泣したそうです。

 

ちなみに、鹿賀丈史 は「劇団四季」に1973年から1980年まで在籍していました。

 

退団後の鹿賀は舞台だけでなく映画、テレビで大活躍をし数多くの受賞も得ています。

 

●1982年:第6回日本アカデミー賞 助演男優賞『疑惑』

 

●1982年:エランドール賞新人賞

●1984年:第8回日本アカデミー賞 助演男優賞『麻雀放浪記』

●1986年:第10回日本アカデミー賞 助演男優賞『キャバレー』

●1995年:日本ジュエリーベストドレッサー賞 第6回男性部門

●1998年:菊田一夫演劇賞 第24回特別賞『レ・ミゼラブル』

●2005年:菊田一夫演劇賞 第31回演劇大賞『ジキル&ハイド』『レ・ミゼラブル』

 

「私の記憶が確かならば」の言い回しが有名となり、強烈な印象を世に広めた

1993年『料理の鉄人』ではなかったでしょうか。

大人や子供までにも認知度を与えました。

 

 

 

鹿賀丈史の嫁や子供について

奥様の情報はあまり見当たりません。

高校2年の時に編入してきた美人でマドンナ的存在の女性だったそうです。

彼女はスチュワーデスとして勤務し、その後結婚しました。

鹿賀さん30歳の時です。

 

息子さんの年齢は今年で39歳位との情報があります。

自分の若い頃に似てると言ってますので、イケメンでしょうね。

 

鹿賀さんはプライベートは全く明かさない方のようですね。

2017年に30代美女と密会しているところをフライデーされましたが

その数年前には、すでに離婚してたそうで、不倫には当たらないそうです

 

どうして離婚するような事になったのか気になるところですね。

 

 

鹿賀丈史さん体調は大丈夫でしょうか。

 

鹿賀丈史さんは過去に19年『レ・ミゼラブル』でマロリーワイス症候群にかかり

楽屋で吐血し緊急入院したことがあります。

この時は1週間ほどで退院できました。

 

2014年にも舞台で声が出ていないし、歌詞を忘れて沈黙した、

歩き方もよろよろしていた等と

認知症ではの疑惑が出たことがありましたが、喉を傷めて声が出なかった

のが原因でした。

本当にフアンは心配しましたね。

お体には充分気よ付けて戴きたいたいものです。

 

 

まとめ

いつまでもダンディー で素敵な鹿賀丈史さん。

これからも元気でのご活躍を祈っています。