石川県能美市出身の幕内力士、小松山が戦中の旧満州で少女を襲った熊を丸太で撃退!

中日新聞引用

画像は重さ8トンの手取川の自然石で1985年に建立された小松山顕彰碑です。
小松山関が生まれ育った能美市小杉町のさくら公園にあります。

 

温厚な性格ながら、生来の相撲勘のよさは抜群で土俵では
多彩な技を繰り出し−」と

生誕100年に当たる2013年碑の裏側に設置した石板には、そう刻まれています。

 

小松山力士とはどう言う人物だったのでしょうか

本名:竹田 貞造

四股名:小松山貞造(こまつやま ていぞう)

生年月日:大正2年311

没年月日:昭和47年427日(享年59歳の若さで亡くなっています)

出身地 :石川県能美市

身長  :170

体重  :101.5キロ

 

小松山略歴について

初土俵  :昭和5年5月⇒初めて土俵に上がる事。

新十両   :昭和12年5月⇒6つある番付上の上から2番目の階級です。

新入幕  :昭和15年1月⇒十両の力士が初めて幕内の番付に入ること。

引退場所 :昭和2011

最高位  :前頭3枚目⇒十両より上位で,小結より下位の階級

 

年寄名跡 :8代甲山(かぶとやま)襲名期間⇒1945年~1972年4月

 

所属部屋 :井筒⇒双葉山部屋

得意手  :右四つ、出し投げ、小股掬い、内掛け、肩透かし、櫓投げ

 

小松山の改名歴について

●昭和5年5月 竹林貞造   1930年5月場所~1933年5月場所

●昭和9年1月 小松山貞三  1934年1月場所~1936年1月場所

●昭和12年5月   小松山貞造  1936年5月場所~1945年11場所

 

小松山成績について

幕内在位:11場所

幕内成績:49勝75敗23休 勝率0.395

金星  :1個

 

2メートル近くある横綱男女ノ川(みなのがわ)をすくい投げで破り金星を
あげているのはお見事ですね。

「肌が白くてきれいで、相撲を取ると赤くなっていく。いい男で女性に人気があったそうです」

 

現代風に言えばイケメン力士と言ったところですね。

 

 

満州でクマに襲われた絶対絶命の少女を救った話の詳細

今から遡る事78年前の出来事です。

1943年(昭和18年)戦中の旧満州(中国東北部)チチハルに大相撲巡業で

横綱双葉山と同行していた小松山は「熊事件」に出くわしました。

 

龍紗公園内の相撲場付近にあるクマのおりの前で遊んでいた満系少女が

突然クマに左足を噛みつかれ、おりの中に引きこまれそうになった。

クマは激しく吠え、誰一人として助けに行けない状態だった。

あれよあれよとと言うばかりの状態、この時折よく附近を散歩していた

小松山ら4人の力士が、少女の泣き声を聞くや駆け付けたそうです。

 

傍らにあった棍棒を手にするや、厳然と柵内に進み、すでに少女の半身を

引き摺り込んでいた熊公の頭に一撃を加えた。

怒った熊は少女を捨て小松山関に襲いかかったが、同関は棍棒で渡り合い

その隙に他の力士が少女を救い出したのである。  引用 北陸中日新聞

救い出された少女は、すぐさま病院に担ぎ込まれ一命をとりとめました。

翌日チチハル市長より感謝状と金一封が4人の力士に贈られました。

 

「小松山は感謝状は嬉しく戴くが金一封は、そのまま少女のために使ってください」と。

会場は割れんばかりの拍手に包まれたそうです。

 

このエピソードが明るみに出たに理由に付いてですが、当時チチハルで

クマ撃退の目撃者が名寄新聞に投稿して下さったのが発端でした。

「小松山という力士がいたことを広く知ってもらいたい」と名寄新聞の

コピーが石川県の会社員から寄せられました。

 

地元新聞が掲載した所、日本相撲協会が当時のさらに詳しい

状況を記した資料を探し出してくれたそうです。

 

石川県でも知る事のなかった小松山関の心温まる話を。

こんな素晴らしい力士の存在を私達は知る事が出来ました。

本当に有難いお話でした。

 

まとめ

石川県出身力士小松山貞造氏について書きました。

一人の投稿から初めて地元力士の素晴らしい美談を

知ることが出来ました。

 

画像の方は小松山関の次男竹田貞夫さん(65歳)です。

今回の話題は彼の生涯の宝物になった事と思います。

素晴らしいお父様をもっていらして幸せですね。

多くの人に知って貰いたいエピソードです。