北郷三穂子(きたごう みほこ)アナは仙台市出身、大阪放送局勤務、ベテランアナウンサーで3人の子供の母親である。
北郷さんこの時間のニュース珍しいなあ。というか、大阪局に異動して初めてのニュースかな。#nhk #北郷三穂子 pic.twitter.com/PgKqsqPVkf
— ナッピーリン (@HK_8000F) July 28, 2017
北郷三穂子アナのプロフィール
名前 | 北郷三穂子(きたごう みほこ) |
本名 | 横尾三穂子 |
生年月日 | 1977年6月30日(45歳) |
出身地 | 宮城県仙台市 |
大学 | 早稲田大学第一文学部卒 |
家族 | 夫、子供3人 |
入局 | 2001年- |
勤務局 | 大阪放送局 |
北郷三穂子アナの学歴
高校
宮城県第二女子高等学校
2010年度(平成22年度)より名称が変わり
宮城県仙台二華中学校・高等学校の中高一貫校となっています。
偏差値は宮城県内 3位/199件中
宮城県内公立 3位/132件中
全国 302位/9800件中
とても優秀な学校と言えますね。
大学
早稲田大学第一文学部
早稲田大学第一文学部偏差値は67.5~70です。
北郷三穂子アナの職歴
2001年NHKに入局しました。
☆ 青森放送局 2001年6月~2004年3月
☆ 仙台放送局 2004年3月~2006年4月
☆ 東京アナウンス室 2006年4月~2012年3月
☆ 神戸放送局 2012年4月~2017年7月 (1回目)
☆ 大阪放送局 2017年8月~2019年6月 (1回目)
☆ 神戸放送局 2019年6月~2022年6月 (2回目)
☆ 大阪放送局 2022年7月~現在 (2回目)
担当番組
関西ニュース
過去の番組
・ あっぷるワイド・あおもりニュースTODAY
・ てれまさむねGo!Go!
・ ITホワイトボックス(2011年7月 – 2012年3月)(Eテレ)ナレーション
・ きょうの料理 (2011年7月 – 2012年3月)(Eテレ)司会
・ あの日を胸に”生きる” 阪神・淡路大震災20年『5時46分・思いつないで 神戸・淡路』(2015年1月17日)(総合テレビ)進行役
・ ニュース(兵庫ニュース845、FM放送の県内ニュース他)
・ ニュースKOBE発 メインキャスター(2015年3月 – 2017年3月)
・ ワイルドライフ(BSプレミアム )ナレーション
・ ごごナマ おいしい金曜日司会 (大阪放送局発・2017年8月25日 – 2019年3月)
・ まんぷく1週間/5分でまんぷく(ナレーター:2018年10月7日 – 2019年3月31日)
北郷三穂子アナが全国区に知名度が上がったキッカケとは?
2003年、BS1で放送された『第5回 アジア冬季競技大会』ハイライト番組での
アシスタントを担当した事です。
開催地の地元局勤務であったことが起用理由だったそうです。
北郷三穂子アナの子供は?
2007年5月に第一子(長女)を、2008年12月に第二子(長男)を、2010年8月
第三子(次女)を出産しました。
2011年よりラジオで復帰し、テレビ番組は同年7月20日の『きょうの料理』で
4年7か月ぶりに復帰出演しました。
北郷三穂子アナは保育士資格を取得しています。
北郷三穂子アナの旦那様お名前や職業について
旦那様のお名前は
横尾泰輔アナ(よこお たいすけ)で、NHKのチーフアナウンサーです。
1975年1月20日生まれの48歳、現在東京アナウンス室副部長です。
学歴は神奈川県立清水ヶ丘高等学校を経て、早稲田大学第二文学部を卒業しました。
入局は1998年で初任地は、青森放送局(1998年度~2002年度)でした。
仙台放送局へ異動の着任初日に宮城県北部地震を経験しました。
新潟県中越地震では中継リポーターを、に岩手・宮城内陸地震の臨時ニュースを、
岩手県や北海道の沿岸部に到達した津波をスタジオで実況しました。
東日本大震災では、大津波警報発表後、東京のスタジオから被災地に向けて避難を
呼びかけ続けました。
震災報道を分析した論文をを日本災害情報学会誌「災害情報」にて発表し、
「命を守ることば」をテーマに、行政機関や大学などで講演を行っています。
まとめ
・ 好きな食べ物
えだまめ、酒粕(神戸・灘の酒どころの酒粕にはまりました)
・ わたしの心身リフレッシュ術
宮本輝さんの本と温泉
・ わたしのモットー為せば成る
為さねばならぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
(と自分に言い聞かせて頑張ります)
・ もしアナウンサーになっていなかったら…
こどもをしあわせにできる仕事がしたいです。
・ あの時あの場所で、思い出の…
新人時代、宮城県気仙沼で、ほっかむりに割烹着といういでたちで、
漁港から出した中継。七福神の恰好をして舞う女性のグループ。
全国から寄港した漁師さんが立ち寄る湯の女将さん。
元気な女性の先輩の姿は、今も心の支えです。東日本大震災の後、
気仙沼によく思いをはせています
お子様達の成長が何よりも楽しみですね。
今後とも頑張って戴きたいですね。