上坂典子は大学卒業後、北陸放送へ入社、15年後退社しフリーアナウンサーとして古巣、北陸放送に出演。

上坂典子生い立ち、アナウンサーを目指した理由

上坂典子は小松市で生まれました。

 

父親の転勤で栃木、東京、愛媛、愛知と各地を転々としました。

東京で言葉を馬鹿にされたのがアナウンサーを目指すキッカケに。

 

帰郷後、石川県立小松高校に入学しました。

この高校は県内でも優秀な進学校です。

 

大学は、成城大学文芸学部に進学しました。

 

両親は「大学を卒業したら、教師に」と望んでいたそうですが。

入学後すぐさま放送部に入部しました。

ラジオ局でアルバイトをしたり、アナウンス養成講座にも通うなど

彼女なりに着々と準備をして行ったのです。

 

当時、東京と言えば最先端の文化がありましたから、東京で

就職と望んでいる学生は多かったです。

 

上坂典子も東京でと思っていましたが、お父さんが賛成してくれた

地元のMRO北陸放送に決めました。

 

入社後に待っていたのは、アサウンサーの猛特訓でした。

●第一に発声練習をしました。

●ニュース、天気予報の読み方

●屋上から見えるものの3分間レポートをする。

●兼六園で観光客への突撃インタビューを試みる。

等々、基礎を中心に徹底的に叩き込まれました。

 

上坂典子アナの”うぐいすの初鳴き”のデビューは生放送でのCMでした。

上唇と下唇が離れない程の緊張感だったそうです。

 

アナウンサーの初鳴きはどなたも大変だっだようですね。

 

現場大好き人間上坂典子アナは、その実力が認められキャスターに抜擢

 

しかし、周囲の期待と本来の自分とのギャップに苦しんだ時期でもありました。

 

そんな彼女に女神が舞い降りてきて助けてくれました。

誰とも分かりませんが一通の手紙に次のような言葉が

「道端に落ちているゴミでさえも、物語にできるアナウンサーになってください」

 

最初何のことか理解出来ませんでしたが、それが分かった時に上坂典子アナは

イキイキと仕事に打ち込むことが出来るようになりました。

 

一通の手紙が苦しんでいた彼女を救ってくれたと言っても過言ではありませんね。

 

上坂典子アナは結婚している?子供は?

yahoo知恵袋に質問されてる人もいましたが、詳細は情報がなく

わかりませんでした。

 

 

上坂典子アナの甥は有名バンドKOTORIのメンバー上坂仁志!

上坂仁志(うえさかひとし)さんはKOTORIの中

ギターコーラスを担当しています。

メンバーの中では年齢が下ですが

ギタリストとしての評価はとても高いそうです。

 

まとめ

上坂典子フリーアナウンサーを書きました。

フリーアナになっても毎年1月に石川県能美市で開催されていた

松井秀喜選手と新春市民の集い」の進行は上坂アナらしい

やり取りがあって楽しいものでした。

 

大物が放つオーラには、他人を寄せつけないものと、

他人を包み込むものの

2種類があると思います。松井さんは後者。

 

だからこそ地元の人間は、松井さんが国民栄誉賞に輝いてもなお、

まるで親戚のような感覚で応援しています」とゴジラの魅力を解説する。

上坂アナ流石でしたね。

聴いてる私達も嬉しくなったものです。

 

今後もフリーアナウンサーとして頑張って戴きたいものです。

目指すは「80才のテレビキャスター」だとか上坂アナなら

きっと可能ですよね。