新川二朗さんに異変が起きたのは16日の事、ろれつが回らなくなり、緊急搬送された17日には肺の手術を受け人口呼吸器を装着する事態になりました。しかし、21日午後7時10分帰らぬ人になりました。

 

 

新川二朗の生い立ちと輝かしい履歴

新川二朗は石川県羽咋郡志雄町(現在の宝達志水町)で生まれています。

実家は小さな商店を営んでいました。

芸名 新川二朗(しんかわ じろう)(1979年に改名しました。)
旧芸名 新川二郎(しんかわ じろう)
本名 沢田幸雄
生年月日 1942年11月2日
生年月日 1939年11月2日 2016年戸籍通りに変更すると公表しました
NHK紅白歌合戦 1964年『東京の灯よいつまでも』
受賞歴 日本レコード大賞功労賞
事務所 新栄プロダクション

 

石川県立羽咋高校卒業後、金沢市卯辰山にある金沢ヘルスセンターで専属歌手として

歌っていました。

羽咋高等学校ではボクシン部に所属し、スポーツマンとして活躍。

体格も良く姿勢がビシッと決まっているのは、そこから来ているようですね。

 

金沢ヘルスセンターは1958年11月1日開業、後に(金沢サニーランド)と改称。

北陸最大の規模の娯楽施設として人気になりました。

動物園、劇場、映画館、遊園地、大浴場、宿泊施設があり大勢の親子ずれが訪れ

賑わっていました。

 

しかし、施設の老朽化や来館者数が激減し、1993年8月31日に閉鎖しています。

 

 

 

金沢ヘルスセンターで歌ってる新川二朗の噂を聞きつけた村田英雄さんに

スカウトされ、上京して新栄プロダクションで修行が始まり

佐伯としを氏に師事しました。

 

1962年キングレコードから『君を慕いて』で念願のデビューを果たしています。

45万枚が売れたそうです。

 

 

●いい歌ですね。いつ聞いても心にしみます。

●なぜだか 胸がキューンと切なくなります♪♪

●素晴らしく落ち着いた心が安らぐ 曲です

視聴者のコメントです

 

1964年『東京の灯よいつまでも』が大ヒットしました

作詞が藤間哲郎、作曲が佐伯としをによる作品です。

 

 

●リズム感軽く、明るさあり、好きです。

●演歌の中で一番好きな曲で聞けば元気が出る曲です。

●本当に独特の声と歌い方、最高に素敵です。生で聞きたいですね。

視聴者によるコメントです。

ちょっと鼻にかかった甘い歌声は多くの人を魅了しました。

 

この作品は東京オリンピック開催前の昭和39年7月に発売され大ヒット!

年末までに何と50万枚を越える売上をみせました。

 

この曲で新川二朗は「第15回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたのです。

2020年にNiziU(マヤ)が紅白に出場するまでは、石川県で唯一の

紅白出場者でした。

 

 

金沢ヘルスセンターではあの大物俳優梅沢富美男さんも出演

 

もう30年も前の話ですが無名時代の梅沢富美男さんが、金沢ヘルスセンターで出演。

皆さん過去には、ご苦労していらっしゃったのですね。

 

梅沢富美男さんは、この金沢を第二の故郷と言って下さり、地元の

人間として嬉しい限りです。

 

まとめ

今月8月21日に亡くなられた新川二朗さんを書きました。

2019年9月21日浅草ビューホテルにおいて

芸道60周年傘寿を祝う会が行われました。

礼儀正しく謙虚な新川二朗さんは、多くのファンに愛されていました。

 

デビュー以来、半世紀以上も「1942年生まれ」と

公称して来たが2016年に戸籍通り「1939年生まれ」に変更すると

発表し周囲を驚かせました。

 

ご家族の件は一切、情報がありませんでした。

徹底してプライバシーは守った感じがあります。

過去に弟さんが42歳で死去された事を話されていました。

石川県を代表する歌手、新川二朗さんのご冥福をお祈り致します。