朝の情報番組で見ない日はない――そんな存在感を放ち続けるのが、
テレビ朝日の大下容子アナウンサーです。
1993年の入社から30年以上にわたり、視聴者にまっすぐな言葉を
届けてきた彼女は、2020年に同局初の女性“エグゼクティブアナウンサー”に昇進。
これは、肩書きだけでは語り尽くせない、長年の信頼と努力の証でもあります。
大下容子アナのプロフィール
名前 | 大下容子(おおした ようこ) |
生年月日 | 1970年5月16日(55歳) |
出身地 | 広島県広島市南区 |
身長 | 160㎝ |
血液型 | A型 |
高校 | 広島大学付属高等学校卒 |
大学 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒 |
勤務局 | テレビ朝日 |
部署 | ビジネスソリューション本部コンテンツ編成局 アナウンス部 |
職歴 | 専門部長(次期役員ポジション) |
広島から慶應、そしてテレビ朝日へ
学生時代はテニスとバンド、文武両道の日々
中学・高校時代はバレーボール部に所属、同級生とガールズバンドを結成、キーボードを
担当し文化祭で演奏をしていました。
バレーボールではブルマを穿いて転げ回っていたそうです。
アタッカーが決めたら「ありがとう!」って言い、 ミスしたら
「ごめん私のトスが悪かった」って言えと、 顧問の先生に言われ続けていたとか。
とにかくアタッカーを乗せるのがセッターの役目。
キャスターやゲストをいかに乗せて、それで楽しい雰囲気に持っていくか。
アナウンサーの役目もセッターに似ていると思ったそうです。
大学時代はテニスサークルで4年間、活動をしました。
アナウンサー志望じゃなかった!?意外な就活エピソード
テレビ朝日のアナウンサー就職難易度はとても高いそうです。
プレ採用の最終選考で落ちた彼女はアナウンサーの職業を強く意識するようになり
アナウンススクールに通い試験の準備を始めました。
1993年、テレビ朝日に入社。最初はスポーツキャスター
最初の壁は「広島弁」だった
テレビ朝日入社時に「お前の広島弁は商品にならない」と指摘されショックを受けた
彼女はアクセント辞典を常に持ち歩きチェックを重ねました。
地方の言葉のニュアンスはなかなか抜け切らないものですが、努力を重ねる姿勢は
素晴らしいですね!
見習いたいものです。
「ワイド!スクランブル」への抜擢と信頼の積み重ね
大下容子さん、お誕生日おめでとうございます😊 pic.twitter.com/Nxr2PddisY
— 衰退のパンク (@zcpbFuNWhU7527) May 15, 2025
2018年10月より、『ワイド!スクランブル』のメインキャスターへ昇格。
2019年4月1日(月曜日)放送分より、同番組が大下の名を冠した
『大下容子ワイド!スクランブル』として再スタートを切り、名実ともに
大下がメインキャスターとなった。
2020年、女性初の“エグゼクティブアナウンサー”に昇進
2020年6月26日付で、同局の現役アナ初となる役員待遇のエグゼクティブアナウンサーへ昇進
肩書きより信念。「視聴者に伝える」原点は変わらない
今も毎朝4時起き。変わらぬ努力と姿勢
新聞10紙を読み込むルーティンにプロ魂を見る
見えない所では凄い努力を重ねていらっしゃるのですね。
後輩への言葉、未来へのメッセージ
「最善を尽くす」──その言葉どおりの生き方
● どうやったらあんなにうまく気配を消せるのか?誰もが謎に思うぐらい職場から
いつのまにか消えている…これぞ大下
● アナウンス部にいらっしゃったと思ったら、そよ風のようにいつの間にか帰宅されている
さっきまで画面で輝いていた大下さんが急にそのスイッチを切る様子は
「おぉー、これが噂の気配を消す大下さんかぁ!」と感動することも。
同僚や後輩達の言葉には驚嘆すら感じますね。
素晴らしい上司に恵まれた方々に嫉妬を感じる位に素敵な女性です。
家族構成について
大下容子アナの実家はご両親とお兄様がいらっしゃいます。
お父様は内科の開業医、お兄様も実家を継いで院長を務めています。
彼女も子供の頃から医師に憧れを持っていたそうです。
医師の夢は叶いませんでしたが
アナウンサーと言う職業で頑張っています。
自己紹介Q&A
幸せを感じる時 | 金曜日の仕事が終わって食べたいものを食べたいだけ食べるとき |
好きな言葉 | 最善を尽くす |
趣味特技資格など | 特に何もなく。。。強いていえば旅行が好きです。 |
子供の頃好きだってテレビ番組 | 「ザ・ベストテン」 |
お気に入りの映画 | 「ローマの休日」 |
好きな本 | 「窓際のトットちゃん」 |
尊敬する人 | 両親 |
取材してみたい人 | ケイト・ブランシェットさん |
アナウンサーになって良かった事 | 毎日が心動かされることの連続で五感をフル回転させていられることです。 |
まとめ
2024年に第32回橋田賞を受賞しました。
地道な努力を怠らず、決して驕らず、与えられた仕事に真摯に向き合う。
大下容子アナウンサーのキャリアには、アナウンサーとしての理想像が詰まっています。
最善を尽くすという座右の銘を実直に体現し続ける姿は、後輩アナウンサーだけでなく、
私たち視聴者にとっても心強い存在です。
エースアナとして、そしてロールモデルとして、これからも大下容子アナの誠実な
言葉と笑顔が、私たちの朝に寄り添ってくれることを願ってやみません。